ネコと暮らす天然人!

移住したのに又、移住?!

お題「夜行列車~」で逃避行?!

お題「夜行列車の思い出」

 

20代のころ、未婚のころの話です。

 

当時、お付き合いしてた人がいました。私にとっては私の話を真剣に聞いてくれる人でした。私は母に意地悪されていて同居の祖母がわたしの本当の母のように思えていたんです。私の事を第一に考えてくれる優しい、やさしい祖母でした(涙)付き合っていた彼はそんな母の事を気にして私を心配してくれてました。そして結婚の話になったんですが当然、両親は猛反対!「どこの馬の骨とも判らない人間など話にもならない!」と彼が書いた身上書?履歴書を破り棄てたんです!高校しか出ていない農家の息子!彼は東京で工場経営の兄を頼って東京に出てきていたんですが状況を確認することなく破り棄てたんですから!私の怒りも頂点に!!!それを知った祖母は本当に心配してくれました。それで「いったん距離を置いて良く考えてみましょう~大阪にいる親戚の家にしばらく私と行きましょう~ゆっくり考えてみれば何か解決策が判るかもしれないから~」ということで祖母と大阪に行くことにしました。のんびりして楽しく過ごせば良い考えも出てくるかもしれないと祖母の意見に従いました。そして横浜駅から大阪までの夜行列車に乗ったんです~初めての夜行列車、ワクワクドキドキで楽しかったですね、大好きな祖母と一緒というのも嬉しかったです。半月位、大阪に滞在しました。この間はそれほど彼の事も思い出さずに過ごせたんです。そして、横浜に戻ってきました。このまま祖母を心配させることなく彼を忘れられると思っていたんです。母はキャリアウーマン、昼間はいません。ある日、何気なく郵便受けを見に行ったら手紙が・・・・彼からでした。当時は携帯はありません。電話か郵便です。手紙を読んだら驚きました!何通も出したのに何の連絡もないので心配している、これも読んでくれるか判らないけど何日にどこどこで待っているとの事でした。母が見つけて処分していたんでしょう!大阪に行っている間だったんでしょうね、3日か4日か後の日だったと思うんですが母の意地悪が判ったので彼と会うことにしました。そして家を出る決心をしたんです。祖母があんなに心配してくれて申し訳なかったけど母の傍に居たくなかったんです。結局、結婚という形になりました。その後、3年間、両親とは絶縁。祖母にはすぐ連絡しました。祖母はすぐに会いに来てくれました。「仕方ないわね、ああいう母親じゃあなたが可哀そう、いつでも私は遊びにくるから困ったことがあれば何でも相談してちょうだい」祖母は来ると1ヵ月近くも私のところにいて産まれた私の子供の面倒を見てくれました。そして横浜の実家で祖母は老衰だったんですが私の腕の中で私の顔を見ながら息を引き取りました。不思議な事にその時、家の中には誰もいなかったんです。祖母と二人きりでのお別れでした・・・・・

 

長くなりましたがここまで書かないと夜行列車の話にならないので失礼いたしました。